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第58回全国高校軟式野球選手権大会 横浜修悠館が初出場初優勝

 第58回全国高校軟式野球選手権大会は30日、兵庫県明石トーカロ球場にて決勝戦が行われ、南関東代表の横浜修悠館(神奈川)が四国代表の新田(愛媛)に3-2でサヨナラ勝ちし、初出場にて初優勝の快挙を成し遂げた。初出場での優勝は2007年の新見(岡山)以来6年ぶりの快挙。

 横浜修悠館の選手は全員が自衛隊高等工科学校の自衛官候補生。限られた練習環境の中で最大の結果を残した。今年で58回の歴史を数える全国高校軟式野球選手権大会は、通信制高校自衛官候補生といった、新興勢力による大旋風で幕を閉じた。

 

今大会のこれまでのエントリーは以下から。

第58回全国高校軟式野球選手権大会 4日現在の各地の戦況その1

第58回全国高校軟式野球選手権大会 4日現在の各地の戦況その2

第58回全国高校軟式野球選手権大会 5日現在の各地の戦況

第58回全国高校軟式野球選手権大会 7日現在の各地の戦況

第58回全国高校軟式野球選手権大会 代表16が出揃う 25日に開幕

第58回全国高校軟式野球選手権大会1回戦 ベスト8出揃う

第58回全国高校軟式野球選手権大会 決勝は新田ー横浜修悠館に

 

今大会の最終結果(日本高等学校野球連盟公式サイトより)

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http://www.jhbf.or.jp/nanshiki/2013/tournament/

 

┃ 決勝

◇新田2-3横浜修悠館(延長11回)

 

第58回全国高校軟式野球:決勝 横浜修悠館、サヨナラV

毎日新聞 2013年08月31日 大阪朝刊

 最終日の30日、兵庫県明石市の明石トーカロ球場で決勝を行い、初出場の横浜修悠館(南関東・神奈川)が延長十一回サヨナラで新田(四国・愛媛)を降し、第52回大会の新見(岡山)以来の初出場初優勝を果たした。神奈川勢の優勝は、第9回大会(1964年)の慶応以来、49年ぶり2回目。2010年の第55回大会に続き2度目の決勝に臨んだ新田は、悲願にあと一歩届かなかった。

 ▽決勝

新田(四国・愛媛)

  02000000000=2

  10000100001=3

横浜修悠館(南関東・神奈川)

 (延長十一回)

 横浜修悠館は六回に同点に追いつくと、延長十一回、松浦の二塁打などで2死二塁とし村野の右前打と敵失で松浦が生還、サヨナラ勝ち。先発の鮫島は八回以降、相手打線を無安打に抑えた。新田は1点を先制された直後の二回、藤岡の適時三塁打と遊ゴロで逆転したが、その後は打線が振るわず、先発の藤岡を援護できなかった。

 ◇冷静な計算奏功

 どうすれば勝てるか。決勝に臨む横浜修悠館は選手自身が冷静に考え、確実に行動した。その結果が初出場での全国制覇として花開いた。

 一番・石井が心掛けたのは、4連投となる新田の先発・藤岡に対して「球数を多く投げさせること」だった。一回には8球粘って四球で歩き、盗塁と敵失で先制。1点を追う六回にも低めの直球を見極めて四球を選び、同点のホームを踏んだ。石井は「序盤は速くて打てなかったけど、後半甘いボールが多くなった」。一方、六回で早くも100球を超えた藤岡は「ああいう打者は嫌だった」と振り返った。

 鮫島は投手ながら、チームの持ち味の「足技」を愚直に披露した。延長十回、得点にはつながらなかったが、浅い中前打で一塁にいた鮫島は一気に三塁を陥れた。この鮫島のプレーは、相手に足技への恐怖感を植え付けた。延長十一回2死二塁。6番・村野が一、二塁間を抜く安打を放つと、新田の右翼手・岩井が打球を後逸。二塁走者の松浦が生還し、2時間半を超える熱戦に終止符を打った。岩井は「一塁アウトを狙ったが、足があるので焦った」と語った。

 結果的に決勝打となった安打を放った村野は「極限状態でいかに冷静に判断できるかという力がついた」。喜びにわく選手たちを見て、丸山監督は「ピンチでも平常心で戦ってくれた」と頼もしそうに語った。【中村有花】

 ◇相棒に報いる

 ○…延長十一回にサヨナラにつながる右前打を放った横浜修悠館の捕手・村野は「鮫島を日本一の投手にできてうれしい」と笑みを浮かべた。この日は4打席目まで無安打。しかし5度目に訪れた好機で、相手投手の自慢の直球を捉えた。先発・鮫島は六回裏に同点に追いついて以降は相手打線を1安打に抑える好投をみせていただけに、「何としてもチャンスで打ちたかった」と村野。相棒が最後に奮闘のエースに報いた。

 ◇藤岡が投打奮闘

 ○…新田は4連投となったエース藤岡が投打で奮闘したが、頂点には届かなかった。藤岡は二回、同点打となる三塁打を左中間に放ち、直後の相手のミスで勝ち越しのホームを踏んだ。投手としては、六回に同点打を浴びた後は毎回のように走者を背負いながらも、最後まで粘り強い投球を続けた。今大会で計598球を投げ抜いたエースは「後半から少し足に(疲れが)きていた」と悔しがったが、浜田監督は「今までで一番良い投球をしてくれた」とねぎらった。

http://mainichi.jp/area/news/20130831ddn035050042000c.html

第58回全国高校軟式野球:横浜修悠館V 「勲章」胸に次の夢へ 鮫島投手、父のような自衛官

毎日新聞 2013年08月31日 東京朝刊

第58回全国高校軟式野球選手権大会最終日の30日、初出場で全国466校の頂点に駆け上がった横浜修悠館(南関東・神奈川)は、部員全員が陸上自衛隊高等工科学校に在籍する自衛官の候補生たちだ。通信制の横浜修悠館で高卒資格を取得し、大半の生徒が陸曹教育隊に配属される。エースの鮫島孝太投手(3年)もその一人。卒業後は現役自衛官の父と同じ道を歩む。野球生活最後の夏、最終回まで楽しんで投げようと心に決めてマウンドに立った。

 鮫島投手は小学5年から本格的に投手を始めた。中学時代、地元福岡県の甲子園出場校から入学の誘いも受けた。幼い頃から憧れた甲子園には、硬式野球の選手でなければ出場できない。だが、鮫島投手にはもう一つの夢があった。

 幼稚園の時、航空自衛隊芦屋基地(福岡県)に所属する航空機整備員の父雄一さん(40)に連れられ、自衛隊の航空祭を見学した。作業着姿で戦闘機を誘導する父が格好良かった。陸自高等工科学校に硬式野球部はないが、悩んだ末に自衛官になる道を選んだ。

 同校の生徒は全員、神奈川県横須賀市の武山駐屯地内の寮で生活する。食事や入浴の時間が厳しく決められ、平日の練習時間は夕方の約1時間半のみ。丸山王明(きみあき)監督(46)は「卒業して自衛官になれば、競技としての野球はできなくなる。だから、野球にかける思いは人一倍強い」と話す。

 この日の新田(四国・愛媛)戦。鮫島投手の登板は3試合目だ。延長十回に右足がつったが、けがや不調の時も支えてくれたチームメートに恩返ししたいという思いが、疲れを消してくれた。「仲間と野球をできることが楽しくて、ピンチの時も笑顔で投げた」

 東日本大震災のような災害が起きても、臆せず救援に向かえる自衛官になりたい。

 これからは、「仲間のために」から「国民のために」に変わるが、どんな時も全力を出し切るつもりだ。高校最後の夏につかんだ「勲章」を胸に秘めて。【重石岳史】

http://mainichi.jp/select/news/20130831ddm041050018000c.html

第58回全国高校軟式野球:新田が準優勝 驚異の粘りに「胸張って」 /愛媛

毎日新聞 2013年08月31日 地方版

 夏の全国高校軟式野球大会最終日の30日は兵庫県明石市の明石トーカロ球場で決勝があり、新田(四国・愛媛)は延長十一回に及ぶ激闘の末、横浜修悠館(南関東・神奈川)に2−3でサヨナラ負けし、悲願の初優勝はならなかった。だが、大会を通じて驚異の粘りを見せ、2010年の第55回大会以来3年ぶり2回目の準優勝を果たしたナインに、スタンドから惜しみない拍手が送られた。【大東祐紀】

新田

  02000000000=2

  10000100001=3

横浜修悠館

 (延長十一回)

 準決勝までの3試合を逆転勝ちした粘り強さはこの日も健在だった。1点を追う二回、4番・田中義人一塁手(3年)の左前打と犠打で1死二塁とし、6番・藤岡雅也投手(同)が中越え適時三塁打を放つ。さらに続く石丸大貴捕手(同)の遊ゴロが野選を誘い、この回2点を奪った。

 鮮やかな逆転劇にスタンドの雰囲気は最高潮。黄色いメガホンを打ち鳴らして喜んだ。藤岡投手の母早苗さん(38)は「気持ちの良い当たりだった。このリードで抑えてほしい」と笑顔。これで藤岡投手は波に乗った。球威のある直球とキレのあるスライダーを武器に強力打線相手に粘投。仲間の堅守もあり、以降は六回の1失点のみに抑えた。

 迎えた延長戦。3年前に準優勝した時の左翼手・木村貢揮さん(21)は「ここまで来たら気持ちの戦い。僕らのリベンジをしてほしい」と祈った。十回2死一、三塁のピンチも防ぐなど、勝利への執念を存分に示す。流れは新田に傾きかけたかのように見えた。

 だが、突然の幕切れだった。十一回2死二塁、相手の右前打で二塁走者が三塁を回る。無謀な走塁に見えたが、右翼手が打球を後逸し、サヨナラ負け。ナインはぼうぜんと立ち尽くしたが、スタンドの応援団からは「いい決勝だった」「胸を張って」と温かい言葉があふれた。

 ◇全試合強気の力投−−藤岡雅也投手(3年)

 球1個半、コースが甘くなった。延長十一回裏。2死二塁のピンチで、右打者の外角低めを狙った直球が少し真ん中に入り、流し打ちされた。その安打を2年生の右翼手が後逸し、サヨナラ負け。「自分が三振を取っていれば良かっただけ」。泣き崩れる下級生を少しも責めなかった。

 130キロ台後半の球威ある直球を買われ、2年生からエースを任された。昨年も主戦として全国大会進出に貢献したが、「自分のことで精いっぱいで、周りを気にかける余裕がなかった」。そのため、ピンチで自滅することも目立った。

 集大成の夏は「エースとしてチームを引っ張り、絶対に初の優勝旗を」と並々ならぬ決意で臨み、決勝を含む4試合を1人で投げ抜いた。力のある直球で強気に攻め、決勝でも9三振を奪った。八回にはけん制で一塁走者を刺し、ピンチには周りに積極的に声をかけ、投球以外でもエースらしさを随所に示した。

 浜田英希監督は「心が本当に強くなった」と評価する。「ピンチにも動じない強さが身についたと思う」と話し、3年間に得た大きな経験を糧に、大学でも軟式野球を続けるつもりだ。【大東祐紀】

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 ◇県勢の歴代決勝記録

第26回(1981) 大津    2−0 松山商

第32回(1987) 松山商   4−0 横浜商

第41回(1996) 中京商   4−0 松山商

第55回(2010) 能代    2−1 新田

第58回(2013) 横浜修悠館 3−2 新田

http://mainichi.jp/area/ehime/news/20130831ddlk38050631000c.html

全国高校軟式野球:横浜修悠館が初出場で日本一/神奈川

 

力投する横浜修悠館・エース鮫島

力投する横浜修悠館・エース鮫島

 第58回全国高校軟式野球選手権大会最終日は30日、兵庫県の明石トーカロ球場で決勝を行い、横浜修悠館(南関東・神奈川)が延長十一回の末、3-2で新田(四国・愛媛)にサヨナラ勝ちし、初出場で日本一になった。初出場での優勝は2007年の新見(岡山)以来で6年ぶり。県勢としては1964年の慶応以来となる49年ぶりの頂点となった。

 横浜修悠館は一回に先制したが、直後の二回に逆転を許した。1-2の六回、黒田の右前適時打で同点に追い付き、十一回2死二塁から村野の右前打を右翼手が後逸する間にサヨナラの走者が生還した。

◆歓喜のサヨナラ

 「抜けろ」。内寄りの直球に差し込まれたその時、横浜修悠館の村野は願いを込めてバットを押し込んだ。十一回裏2死二塁。サヨナラの絶好機に打球は右前で弾んだ。

 その気持ちが幸運を呼んだか。スピンがかかったボールを相手右翼手が後逸。初優勝を決めるホームを二走松浦が踏みしめると、ナインは飛びはねて喜んだ。

 「優勝と同じくらいの目標を達成できた」と村野が笑う。大目標は初の頂だけではなかった。神奈川大会から勝ち上がるほどに一つになったのはエースへの思い。合言葉は「サメ(鮫島)を楽にさせよう」だった。

 四球で出塁した石井が果敢に二塁を陥れ、黒田の適時打でホームに生還した六回はもちろん、守りでも援護した。延長十一回1死一塁。鮫島の暴投で一気に三塁を狙った一走を女房役の村野が矢のような送球で刺し、ピンチを脱した。

 「最後の最後でやっとサメだけのチームじゃなくなった」。強肩で相棒を救い、その裏にサヨナラにつなげる右前打を放った村野が相好を崩せば、エースは顔をくしゃくしゃにして笑う。「やってくれると信じてここまで投げ続けた。仲間に恵まれて幸せ」

 誰かのために。そう思えるから修悠館は強くなった。 

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1308300027/

全国高校軟式:横浜修悠館初V、自衛官の卵が発奮

初出場初優勝を喜ぶ鮫島選手(左から4人目)ら横浜修悠館ナイン=兵庫・明石トーカロ球場

初出場初優勝を喜ぶ鮫島選手(左から4人目)ら横浜修悠館ナイン=兵庫・明石トーカロ球場

 高校軟式野球の全国選手権大会で30日、横浜修悠館が初出場で日本一に輝いた。部員全56人が通信制の同校で学びながら横須賀市陸上自衛隊高等工科学校で訓練を積む自衛官の候補生だ。

 「彼らにとって唯一、自己表現ができる場所。野球をやっているときは幸せそう。きょうは誇らしげでもある」。高等工科学校の防衛教官でもある丸山王明監督(46)が笑う。視線の先で教え子たちが歓喜に沸いていた。

 日中は演習や座学でみっちり。今夏の神奈川大会の開幕を間近に控えた7月も、3年生22人は静岡県の演習場で10日間行われた野営訓練に参加した。敵の監視を想定し、銃を手に一晩寝ずに立ち通すなど訓練は過酷を極めた。

 朝は6時に起き、夜は10時半には消灯。ボールに触れられる時間は1時間半しかない。それでも楽しい。試合はなおさらだ。

 3年生のエース鮫島孝太選手は自衛官の父に憧れ、門をたたいた。「訓練できつい事があっても顔には出さないが、野球ではみんなで喜怒哀楽を出せてメリハリをつけられている」。優勝の瞬間、ナイン全員が満面の笑みだった。

 今月上旬、今大会でベンチ入りしない2年生を中心に宮城県内の学校との遠征試合を兼ね、東日本大震災の被災地である石巻市を訪問した。現地で後輩が撮影した写真を見せてもらった鮫島選手は「野球で得た体力を生かして災害支援などで活躍したい」と話す。

 「集団生活と野球を通して人間性を高め、何かあったときに国と愛する人を守ることのできる存在になってほしい」。丸山監督は言葉に思いを込めた。

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1308300039/